日本の城

日本の城。高い石垣や深い堀に囲まれ、そびえ立つ天守閣、櫓、城門。。。日本の城は、歴史を感じる特別な場所。天守閣はもちろん、櫓、城門、移築建造物に至るまで、さまざまなアングルからの姿を紹介しています。そして当時の武将たちの息づかいが聞こえてくる、城にまつわる歴史・人物に関する場所・建物や歴代城主なども紹介。四季折々の美しい景色とともに、歴史に思いをはせてみませんか。

天下を治めた徳川将軍の居城

〜江戸幕府の歴史を刻む江戸城〜

東京都千代田区にある江戸城は、徳川将軍家の居城として江戸時代を通じて日本の政治の中心となった、日本を代表する名城です。広大な城域には幾重もの堀や石垣、門、櫓が築かれ、かつては日本最大級の城郭を誇りました。現在も皇居東御苑を中心に、往時を偲ばせる壮大な石垣や堀、城門などが残されています。

江戸城の歴史は、室町時代に太田道灌が築いた城に始まります。道灌は江戸の地に城を築き、江戸城の基礎をつくりました。その後、北条氏の支配を経て、天正18年(1590年)の小田原征伐後に徳川家康が江戸へ入府します。家康は江戸城を居城と定め、関ヶ原の戦いを経て江戸幕府を開くと、城の大規模な拡張と整備を進めました。

二代将軍・徳川秀忠、三代将軍・徳川家光の時代にも城郭の拡張は続けられ、巨大な天守や壮大な御殿、幾重にも巡らされた堀と石垣が整備されました。特に寛永15年(1638年)に完成した三代将軍・徳川家光の時代の天守は、史上最大級の規模を誇ったとされています。しかし、明暦3年(1657年)の明暦の大火によって天守をはじめ城内の多くの建物が焼失し、天守は再建されることなく、その後は富士見櫓などが城の象徴となりました。

江戸時代、江戸城は単なる将軍の居城ではありませんでした。全国の大名が江戸と領国を往来する参勤交代の制度や、幕府の政治・儀礼が行われる場所として、日本の政治を動かす中心地となりました。大名たちが登城し、将軍との謁見や諸藩との交流が行われた江戸城は、まさに260年以上にわたる幕府政治の舞台でした。

幕末になると、江戸城は再び大きな歴史の転換点を迎えます。慶応4年(1868年)、戊辰戦争の中で新政府軍が江戸へ進軍するなか、勝海舟と西郷隆盛の交渉によって江戸城は戦火を免れ、無血開城となりました。約260年続いた徳川幕府は終焉を迎え、江戸城はその長い歴史の舞台を新たな時代へと引き継ぐことになります。

現在、江戸城の中心部は皇居となっていますが、皇居東御苑などでは本丸跡、天守台、富士見櫓、また、国指定重要文化財の桜田門、田安門、清水門など、江戸城の壮大さ、歴史を伝える遺構を見ることができます。巨大な石垣や深い堀を目の前にすると、かつてここを中心に全国の大名が動き、徳川将軍家が日本を治めていた時代の姿が浮かび上がります。

江戸城 桜田門(国指定重要文化財)

江戸城の南西側に位置する重要な城門で、**外桜田門と内桜田門(桔梗門)**の2つがある。現在の外桜田門は、寛永13年(1636)頃に整備された枡形門で、高麗門と渡櫓門から構成される。現在も江戸城の城門として当時の姿をよく残しており、国の重要文化財に指定されている。

江戸城 田安門(国指定重要文化財)

江戸城北の丸北端に位置する枡形門で、高麗門と櫓門からなる。現在の門は寛永13年(1636)の建立とされ、江戸城の総構が完成した時期にさかのぼる貴重な遺構である。現存する旧江戸城建築遺構のうちで最古のものです。

江戸城 清水門(国指定重要文化財)

江戸城北の丸東部に位置する城門で、高麗門と櫓門からなる枡形門。現在の門は、扉の金具に残る刻銘などから、万治元年(1658)頃に建てられたものと考えられている。江戸城の城門の中でも、高麗門・櫓門・石段が一体となって残る貴重な遺構で、江戸時代の城門の姿をよく伝えている。昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定された。

江戸城 富士見櫓(現存)

江戸城本丸の南西隅に築かれた三重櫓で、天守焼失後は江戸城を代表する櫓の一つとなった。明暦3年(1657)の明暦の大火後に再建されたと考えられ、江戸城の現存する櫓の中でも重要な遺構である。

乾通りより

城内より

江戸城 伏見櫓(現存)

江戸城西の丸南側に位置する二重櫓で、江戸城の現存する櫓の一つ。名称は、京都の伏見城から移築されたと伝えられていることに由来する。現在の建物は、明暦3年(1657)の明暦の大火後に再建されたものと考えられており、櫓と石垣、土橋、二重橋と一体となった景観は、江戸城西の丸の往時の姿を今に伝えている。

江戸城 桜田二重櫓/巽櫓(現存)

江戸城本丸の東南側、二の丸との境付近に築かれた二重櫓で、別名「巽二重櫓」とも呼ばれる。櫓は石垣の上に建ち、本丸東南側の防御を担う重要な施設だった。

現在の建物は江戸時代の姿を伝える現存櫓の一つで、巽櫓・富士見櫓とともに、皇居東御苑に残る江戸城の貴重な遺構である。

江戸城 富士見多門櫓(現存)

江戸城本丸の西側に築かれた長屋造りの防御施設で、櫓内部には武器や物資などが収められ、本丸を守る重要な防御施設として機能した。現在の建物は、明暦の大火(1657年)後に再建されたものとされ、江戸城本丸に残る貴重な多門櫓の遺構である。

江戸城 大手門(渡櫓門 復元/高麗門 現存)

江戸城は三十六見附といわれ「枡形門」とよばれる多くの城門がありました。大手門は、江戸城の正門で、その警護には十万石以上の譜代大名があたっていました。築城当初の門は、明暦3年(1657)の大火で焼け落ち、翌年再建されましたが、関東震災によって倒壊しました。
 現存の渡櫓門は昭和42年再建、高麗門は明暦3年再建時のものです。

江戸城 桔梗門/内桜田門(復元)

江戸城の内桜田門とも呼ばれる城門で、(現在の桜田門は外桜田門)江戸城本丸南口の通用門として、本丸へ向かう際には、大手門と並ぶ登城の門でした。関東大震災後、復元された。

江戸城 平川門(渡櫓門 復元/高麗門 現存)

三の丸の正門である平川門は、1620(元和6)年、仙台藩主伊達政宗ほか六名の大名によってつくられた江戸城三の丸の正門です。本丸大奥に通じる奥女中の通用門だったため別名「お局門」、場内の死者や罪人などの出口とされていたことから「不浄門」ともいわれます。渡り櫓の櫓部は、関東大震災で大破してしまいましたが、後に復元されました。

江戸城 百人番所(現存)

江戸城 大番所(現存)

江戸城 同心番所(現存)

江戸城 天守閣復元模型(寛永期天守閣)

江戸城 天守台石垣

江戸城 石垣

中之門

中雀門

汐見坂

下梅林門

梅林坂

江戸城 濠

白鳥濠

乾濠

道灌濠

江戸城 二の丸庭園

江戸城歴代城主・城代および徳川将軍家一覧

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