川中島の要衝に築かれた戦国を生き抜いた真田家の居城 ― 松代城〜信州松代に息づく真田家の歴史
長野県長野市にある松代城は、戦国時代には海津城と呼ばれ、川中島の戦いにおける武田氏の重要拠点として築かれた名城です。千曲川を天然の防御線として利用した堅固な城であり、武田信玄と上杉謙信が覇を競った川中島の攻防を支えました。
海津城は永禄3年(1560年)頃に武田氏によって築かれたとされ、武田信玄は重臣・高坂昌信を城代として配置しました。城は軍事拠点であると同時に北信濃支配の中心でもあり、川中島平を見渡す要衝として重要な役割を果たしました。
武田氏滅亡後、海津城は織田氏、上杉氏、豊臣系大名など支配者がたびたび入れ替わる激動の時代を迎えます。関ヶ原の戦いを経て徳川幕府が成立すると、森氏、松平氏らが城主を務めました。そして元和8年(1622年)、上田から移封された真田信之が松代藩主となり、海津城は松代城と呼ばれるようになります。
真田信之は、戦国の名将・真田昌幸の長男であり、真田信繁(幸村)の兄として知られる人物です。関ヶ原の戦いでは徳川方につき、真田家存続の礎を築きました。信之の入封以後、松代城は真田家の居城として整備され、松代藩の政治・文化の中心となります。
江戸時代を通じて真田家は藩政を担いましたが、その歩みは決して平坦なものではありませんでした。財政難や天災への対応、藩政改革など幾度もの困難に直面しながらも、真田家は藩の存続に尽力します。幕末には開国や政治情勢の変化に揺れるなかで新時代への対応を迫られましたが、藩は大きな混乱を乗り越え、明治維新まで存続しました。
現在の松代城には、本丸を囲む堀や石垣、土塁などが復元され、往時の姿をしのぶことができます。川中島の戦いを支えた武田氏の要塞であり、また真田家が約250年にわたり治めた藩政の中心として、松代城は戦国から幕末へと続く日本史の流れを今に伝えています。川中島の激戦の記憶と真田家の歩みを刻む、信州を代表する名城の一つです。
松代城 橋詰門・太鼓門(木造復元)




松代城 太鼓門(木造復元)




城内より太鼓門を望む
松代城 北不明門(木造復元)






松代城 石垣/戌亥櫓台




戌亥櫓石垣


本丸石垣 埋門
長国寺(真田家菩提寺)
松代藩初代藩主 真田信之公御霊屋(国重文)








松代藩四代藩主真田信弘公御霊屋(長野県宝)





長国寺開山堂〈旧真田幸道公(三代藩主)御霊屋(長野県宝)〉



長国寺 松代藩歴代藩主の墓


初代真田信之公の墓 真田歴代藩主の墓(初代から10代まで)
西楽寺 真田信重〈真田信之三男〉公御霊屋(国重文)







林正寺表門/本堂〈旧真田信政公(二代藩主)御霊屋(県宝)〉






海津城・松代城 歴代城主、松代藩

戦国時代の海津城は「城主」ではなく武田氏の「城代」が置かれていました。海津城から松代城へ真田信之入封まで支配勢力は、武田氏→織田氏→上杉氏→豊臣政権→徳川幕府→真田氏と変遷しました。
松代城下町
大英寺 表門/本堂〈旧真田信之正室・小松姫御霊屋(県宝)〉



矢沢家表門(長野市文化財)



真田家家老・矢沢家屋敷の表門
横田家住宅(国重文)




白井家長屋門(長野市文化財)


真田邸





文武学校


お昼のお蕎麦とお酒




「日暮庵」でお蕎麦と山菜天ぷら、名産の山芋、そして地酒を堪能。
コメントを残す